僕は現在22歳で会社を一つ経営しております。
webデザイン
動画編集
ライティング
マーケティング
この4つを主軸に事業を展開しています。
しかし、ここに来るまでには大きな苦悩や葛藤がありました。
そしてそれが今の自分を支える出来事となっています。
僕の過去
苦悩し、葛藤した要因の一つが僕の抱える持病です。
僕は小学4年生の時に突発的に力が抜けるPKDという病気を発症し、
さらには高校2年の時に特発性過眠症という、眠気が常につきまとう睡眠障害を発症しました。
急に脱力してしまう為、症状が酷い時は50m走のタイムが14秒になったり、睡眠障害に関しては自転車に乗りながら寝てしまうほどでした。
持病と向き合う決意
そんな自分が嫌で、克服するために僕は高校からボクシングを始めました。
当時、周りの皆が僕を止めました。
周りからしたら、僕がこの病気を抱えながらリングに上がることが考えられなかったからです。
今思うと皆の気持ちは無理もありません。
僕自身も内心は格好の的になるんじゃないかと心配でした。
ただ僕は、そのくらいしないと変われない。と決意し行動しました。
その結果、どうなったか。
高校2年生の終わりまで1勝も出来ずに皆んなから馬鹿にされました。
もともと身長は高い方でしたが、それも活かせずに自分を責める日々が続きました。
本当に悔しかったです。
ですが、その悔しさをバネにジムを3つ行き来して猛練習をしました。
その結果、3年生の夏に東北大会優勝、インターハイではベスト16に入る事が出来ました。
新たな出会い
当時、持病と付き合いながらボクシングを続けるために頻繁に病院に行って検査入院や検診などをしていたのですがそこで、僕と同じような境遇を持つ小さい子たちに会う機会もあったんですよね。
その子達は皆んなボクシングを始める前の僕の様な暗い顔をしていました。
この子達に夢や希望を与えたい。
ボクシングを通じてそう思えるように成長出来ました。
そこから人生を通してボクのような境遇を持つ方を救えるような薬を作りたいと考え、薬関連の研究をしている大学に入学しました。
立ちはだかる大きな壁
夢を抱いて入ったはずの大学で僕は現実を知りました。
1人では薬を作れない。
数が少ない患者の薬は優先されない。
現実を突きつけられ、勉強面がグダグタになってしまいました。
ボクシングに関しても、教える立場として続けてはいましたが、だらけ出してしまう始末。
そして、そんな時に事件が起きます。
2019年10月、
台風19号という各地で多くの災害を引き起こしたとても大きな台風の被害に遭ってしまいました。
僕は当時福島にいたのですが、一級河川の氾濫により、周辺のアパートが1階まで浸水するほどのものです。
見て下さい、この画像。
今まで築き上げていたものが消えていく感覚。
本当に辛い経験でした。
もちろん、3.11や熊本地震などの震災で被災した方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、僕にとって被災するという事が初めての経験で、本当に辛かったです。
いつもの日常が一晩で一変してしまい一部ではレスキュー隊が出動するほどでした。
その中僕は、約1週間避難所で避難生活をしました。
具体的にその時の生活というのは、
フローリングで寝たり、携帯の充電は限られ、周りのいびき、いつ日常に戻れるのかわからない不安感。
もう、ここは紛争地なのか?と思うほどでした。
そのくらいの感覚で悲惨な日々を送ったのを今でも鮮明に覚えています。
一緒に避難していた友達の中で、一夜にして全ての資産を失った人もいました。
その絶望した友達をみて、何も出来ない自分をなんて無力なんだ。と感じました。
困難の中で見えてきた夢
避難所の光景で一番悲しかったのが
泣いた子供たちを『大丈夫だよ』となだめるお父さん、お母さんたちの悔しそうな顔。
こういう時、誰かを守れる力が必要で
もちろん自分を守るのは当然なんですが、それ以外にこれから家族が出来てきた場合、僕はイクメンになりたいと子供の頃から思っていたので。
自分の大切な友達、恋人、そして家族
皆さんも胸に手を当てて考えると沢山いらっしゃると思います。
大切な人たちを守るためには力が必要なんだと避難生活で学びました。
そんな中、台風後のライフハックや気づきをツイートしてたところ
偶然ある一つのツイートがバズりました。
そのツイートをきっかけに本当に沢山の感謝メッセージを頂きました。
その時
僕の言葉・発信一つで誰かの助けになれたのではないか?
そうピンと来ました。
僕にもっと影響力があれば
僕と同じ境遇を持った人たちを助けることができるのではないか。
個人の力でも想いを届けることができるのではないのか。
その可能性を感じ、影響力を持つインフルエンサーという存在に興味を持ちました。
当時の僕はただの大学生。
インフルエンサーになる方法なんて分かる訳もなかった為、沢山のセミナーに足を運んで勉強をしました。
その活動の中で自分に刺さる言葉が一つ見つかりました。
それが
『自分の声を届けるには武器が必要』という言葉。
すごく腑に落ちました。
僕のツイートがバズったのも、みんなが欲しかった『台風後のライフハック』が自分の武器に一時的になっただけだったんだ!と。
実際にその後は主に自分本位なツイートをしていたため、全然伸びませんでした(笑)
そしてもう一つ
『自分の好きなことを極めろ』
という言葉が腑に落ちました。
だったら僕にはデザインがある。
直感的にそう思いました。
なぜデザインだったかというと
IT系の講義が好きで積極的に学んでいたのと、家具や雑貨、そして服などのデザインに関わるものが好きだったからです。
そのままデザイナーとして突っ走り、今では数名の芸能人の方の裏方、専属をさせていただいています。
こんな僕でも認められたんです。
会社の名前ではなく僕の名前で。です。
そして、昔よりは確実に誰かに届けることができるようになりました。
その成長のきっかけをくれたデザインの魅力というものを伝えたい。
そう強く思いました。
夢の実現に向けて
今のデザイン業界では、
YouTubeやInstagram、Twitterなど、デザインを伝えてくださっている方は数多くいます。
スクールをやってたり、塾をやっていたり、大きな学校(専門学校)などを持っている方もいらっしゃったります。
けどやっぱり
個人で力をつける為には最短最速でなりたい自分になり、自分の声を届けることだと思っています。
デザインを極めたい
デザインで収入を得たい
デザインを使ってフリーランスになりたい
そう思ってる方は多くいらっしゃると思います。
僕は1年で実現できました。
もちろん、大学での授業や趣味でフォトショップ・イラストレーターなどデザインをかじっていた、ということもありますが。
独立した後の強固な基盤と、これから先どのように仕事をとっていくのか。
そういったところも兼ねてボクはデザイナーズプロを展開しています。
僕は、今までの経験もそうですが、
誰かの力になりたい、そのために自分ができることは何だろう?
と考えた時に自身の力が湧き出てきました。
【ここでお知らせです】
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夢と希望に溢れている皆さんのご参加をお待ちしております。
なので、これからこのデザイナーズプロをもっと大きくして、一人でも多くの人の人生に影響を与え
どこよりも良い・どこよりも大きいコミュニティに成長させて行きたいんです。
世界中、どこにいても自分に必要なスキルが学べる
一緒に同じ目標を持って行動できる仲間がいる
この状態って本当に頑張れますし、
今!自分って輝いてる!って心の底から思えます。
最後に
何もできなかった僕だけど
そんな僕を変えてくれたデザインという分野に恩返ししたい。
そして、その時に沢山の人達と笑っていたい。
そうなるために僕はこれからも突っ走っていきます。
今はまだまだですが、
近い将来、本当に良い影響を与える、
昔の僕が見た時に『よく頑張った!』と言ってもらえるような存在になれるよう。
今自分にできることを一生懸命頑張っていきます!
是非、応援宜しくお願い致します!
あつしでした。
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